Mag-log in一方、玲の周囲にも危険は迫っていた。 大地の後ろに、もう一人の黒服が影のように近づいていた。「大地くん!」 玲が叫んだ。 大地は彼女の声に反応し、振り向くと同時に構えを取る。 男の腕が玲の腕に伸びかけていた。「触んな!」 大地はその腕を掴み、肩ごと回転して背負い投げの形で叩きつけた。 骨の折れるような音が響く。 大地は舌打ちしながら倒れた男を蹴り飛ばした。「っせぇ……マジで何人来るんだよ」 玲は大地の背中にしがみつきながら、震える声を漏らす。「大地くん……あなたたち……どうして……?」「説明はあと!今は下がって!」 大地は玲を背後に守りながら、周囲を警戒する。 目の前では瑛斗がまだ立つ男たちを完璧に無力化していく。(この二人……何者なの……?) 玲の心に渦巻いていた疑問が、恐怖の中でより鮮明になっていく。 「退け。もう勝負は見えた」 不意に、静かな声が響いた。 倒れた男たちの奥――搬入口の影から、一人の男が歩いてきた。 黒いサングラス。 黒い雨具。 冷え切った視線。 天城壮真の部下――“実行役”の男だった。 玲の背筋が凍りつく。(……この人……今までの人たちとは違う) 目が合った瞬間、心臓を掴まれたような感覚が襲った。 男は玲だけを見据え、淡々と言う。「桐島玲華。おとなしくついて来い」「……っ!」 玲の喉が締めつけられる。(どうして、私の名前を……本名は明かしてないはずなのに……!) 瑛斗がわずかに玲の前へ出る。「その名前を呼ぶな」 その声には、言葉の何倍もの殺気が混じっていた。「ここはお前たちの島じゃない。二度とその名を口にするな」 男は一度黙り、瑛斗を観察するように目を細めた。「……やはり、ただの旅行客ではなかったか」「遅いよ。気づくの」 瑛斗がわずかに笑う。 その笑みが、玲をさらに震えさせた。 優しくて穏やかな瑛斗とは、まるで別人。(瑛斗くん……あなたは……) だがその“正体”に気づくには、まだ早かった。 天城の部下は手を軽く挙げ、残っている仲間へ示した。「連れて行け。どんな手を使ってもいい」「させるか!!」 瑛斗が歩を進めると同時に、男たちは一斉に動き―― 暗い砂浜で、第二波の襲撃が始まった。 その頃――神威会本部。 黒澤は電話を耳に押し当て、怒
瑛斗が男の腕を掴んだ瞬間、空気が一変した。 さっきまで気配を隠していた男たちの殺気が、波音を押しのけてビリビリと響く。「……誰だ、テメェ」 黒づくめの男が押し殺した声を漏らす。 だが瑛斗は、耳に入っていないかのように静かに答えた。「その女性から手を離せ。でないと――腕、折るぞ」 それは、今まで玲が聞いたどんな声より冷たかった。 男の握る力が一瞬緩む。 瑛斗はその隙を逃さず、玲の手首を奪い返し、男を強く弾き飛ばした。 砂浜に倒れ込む黒づくめの男。 すぐに数メートル後ろへ転がり、構えを取った。 玲はその場に後ずさり、足が砂に沈む。(瑛斗くん……今の……何?) 観光客の顔ではなかった。 あの優しさも柔らかい笑顔も、一瞬で消え失せていた。「玲ちゃん、下がって。大地の方行って」 声だけは優しい。 だがその背中には、殺気を受け止める覚悟が宿っている。 大地が玲の腕を支え、立たせる。「大丈夫です。俺がついてるから」 いつもの軽い調子ではない。 声がわずかに震えているのは、緊張ではなく怒りだ。「……連れていけ。女だけでいい」 別の黒服が合図を送る。 ビーチの両端から、さらに二人、黒い影が近づく。(三人……!) 玲は息を呑んだ。(どうしてこんな……?どうして私が……狙われてるの?) 瑛斗は玲から視線を外さず、大地に小さく指示した。「玲ちゃんを守れ。絶対に手を出させるな」「了解!!」 その言葉を確認した瞬間――瑛斗の瞳が、暗闇の中で鋭く光った。「……来いよ」 黒服たちは一斉に襲いかかった。 最初に動いたのは中央の男だった。 砂を蹴って飛び込み、拳を繰り出す。 普通の観光客なら避けることすらできない速さ。 だが瑛斗は、すでにその一歩先を読んでいた。「遅い!」 拳を半身でかわし、肘で顎を撃ち抜く。 男が苦悶の声をあげて崩れかけたところへ、追撃の蹴り。 砂が舞い、男の身体が数メートル後ろへ吹き飛んだ。(……強い) 玲は息を呑んだ。 あまりにも鮮やかで、迷いがなく、冷たすぎる動き。 瑛斗という青年が、ただの“優しい旅行青年”ではないことを証明する戦い方。「くそっ、やれ!」 二人が同時に攻め込んでくる。 一人はナイフを持ち、もう一人は素手で足を狙ってきた。 瑛斗はナイフの光
玲は、濡れた砂の上で小さく膝を抱えこむようにしゃがんでいた。 波が引くたび、白い泡が砂浜に細い線を描き、そのたびに玲のサンダルの爪先がひんやりと濡れる。雨は上がったばかりで、空には薄い雲がまだ残っている。湿った風が、玲の髪の先を軽く揺らした。 ひとりになると、どうしても蓮のことばかり考えてしまう。 どれだけ忘れようとしても、思考のどこかで必ず蓮の姿が浮かんでくる。 ――あの時。 蓮のマンションから飛び出して、何度も蓮から電話が鳴ったのに、一度も出なかった。 スマホが震えるたび胸が痛み、耳を塞いでも、あの着信音が頭の中で鳴り続けていた。(蓮は……何を言おうとしたの?) (言い訳? それとも……) どれほど考えても、蓮を憎む気持ちは不思議と一度も湧かなかった。 むしろ胸の奥には、どうしても押さえつけられない感情がまだ残っている。 ――もう一度だけ、蓮ときちんと話をしたい。 たとえ残酷な結果になったとしても。 あの女性を愛してしまった、そんな答えが返ってきたとしても。 それでも、蓮の口から直接、聞かなければいけない。玲はそう感じていた。 顔を上げると、雨上がりの海は、人影がほとんどなく、静かで、どこか心細いほどだった。 潮の匂いは薄く、波の音だけが一定のリズムで繰り返されている。(瑛斗くんも、大地くんと麻美も……今ごろ何してるかな) その顔ぶれを思い浮かべると、なぜか胸の奥がほっとした。(あの人たち……守ってくれてる気がする。どうしてそんなふうに思うのか、自分でもわからないけれど……) そう考え込んでいた、その時だった。 ――ザッ。 濡れた砂を、重い靴が踏む音がした。 玲の背筋が硬直する。 ゆっくりと振り返ると、そこには黒いフード付きジャケットを着た男が立っていた。 サングラス。伏せた顔。 表情は完全に読み取れない。 だが、その歩みには一切の迷いがなく、ためらいというものが存在しなかった。(……昨日も、見た) ホテルの裏手にいた黒づくめの影――。 あの時、一瞬だけ確かに目が合った。 その“違和感”が今、全身を一気に締めつける。 男は無言で、まっすぐ玲へ向かってくる。 玲の心臓が激しく脈打った。鼓動の音が頭の中に響く。 (なんで……こっちに来るの?) 周囲を素早く見渡し
夕方の空は、ようやく雨雲が割れ、淡い橙色の光が海面を照らし始めていた。 とはいえまだ雲は重く、島全体が静かな湿気に包まれている。 玲は、部屋にこもっていても胸のざわつきが抜けず、思い切って外に出ることにした。(……少し、歩こう) 麻美は大地と買い物に出たまま戻らないらしい。 ふたりが楽しんでいるなら、それでいいと思えた。 ホテルからビーチへ続く道は、雨に濡れた植物が光を反射して輝き、いつもより静かだった。 観光客もまばらで、波の音がよく聞こえる。 玲はサンダルのまま砂浜へ下り、波打ち際へと歩いていく。(……この波の音、落ち着く) 気持ちが沈んでいるとき、なぜか海の音は心をゆるめる。 蓮と過ごした日も、この音が何度も二人を包んでくれた。(蓮……) 胸がぎゅっと締まる。 目を閉じ、深く呼吸をした瞬間―― その柔らかな時間のすぐ外側で、別の気配が動いていた。 一方そのころ。 少し離れたビーチ沿いのカフェの陰で、大地が携帯を耳に押し当てていた。「……瑛斗さん、玲さん動きました。ビーチに向かってます」『見えてる。俺もそっち行く』「龍一さん側の護衛は?」『三名が近くにいる。でも……天城側の連中がビーチ両端に展開してる』 大地の眉が険しくなる。「マジっすか……」『黒澤残党は動いてない。つまり――』「今日、天城側の奴らが来るってことですね」『ああ。玲華様が一人になるのを待っている』 大地は周囲を警戒しながら歩き始めた。 表情は穏やかでも、その瞳は鋭い。「俺ら、どう動きます?」『まずは玲華様に近づく。こっちは表立って戦えない。観光客に見えるように立ち回る』「了解」 大地はカフェの影から抜け出し、足早に砂浜方向へ向かった。 その一方で、天城壮真の側近たちは、すでにバリで別行動を取っていた。 黒いサングラスをかけた男が、ホテルの裏手にある廃屋の影から海を眺めながら口を開く。「……桐島の娘が一人でビーチだ。今が絶好のタイミングだな」「問題はあの二人だ。瑛斗と大地……本当にただの観光客か?」 別の男が低く呟く。「あいつら、歩き方が素人じゃない。後ろの取り方も、目線の流し方も……訓練されてる」 サングラスの男は鼻で笑った。「問題ない。女だけ連れ去れればいい。本命は“桐島玲華”だ」「黒澤は
その頃。 利衣子は港湾道路を必死に走っていた。 パンプスのかかとは折れ、髪は雨に濡れて頬に貼り付き、息は荒く、肺が割れそうだ。 後ろから聞こえる黒澤の部下の怒声。「いたぞ! バラけて探せ!」 「生かして帰すなと黒澤さんが言ってたぞ!」 利衣子は涙で視界をにじませながら走り続ける。「……いや……生きたい……っ!」 その叫びは、雨と風に飲まれて消えた。 一方、廃倉庫。 蓮は焦りを隠しきれず龍一に詰め寄った。「桐島さん! あのままじゃ利衣子は殺される……!」「それがお前に何か関係があるのか?」 龍一は無感情にそう言い、タバコに火をつけた。 蓮は何も言い返せず、拳をギュッと握ってこらえた。「あの女が知り得る情報は全て聞いた。これ以上、もう価値はない」 蓮は悔しげに拳を握る。 自分のことを利用した女。それでも死ぬ姿は見たくない。「……桐島社長。お願いだ。部下を出して、少なくとも“捕まる前に確保”くらい……」「断る」 即答だった。「あの女が選んだことだ。例え夜の世界の女でも、黒澤や鷲尾などと関わらなければ、命を狙われるようなことは起きないハズだ。」龍一はタバコの煙を吐き出しながら、蓮を横目で見ながら続けた。「あの女に情を掛けている暇があるなら、お前の本命を守れ」「……本命?」 龍一は、もう一度冷たい視線を向けた。「“成瀬 玲”。黒澤も鷲尾も狙ってる。利衣子の言葉が本当なら……“玲が黎明の命綱”だという話だ」 蓮の顔色が変わる。「玲が……狙われる……?」「今さらきづいたのか?お前が関西に来た時点で、彼女はもう“餌”になっている」 蓮の胸が一気に締め付けられる。「でも………玲は無事なんだろう?」 龍一は火が付いたままのタバコを投げ捨て「柊 蓮。ではまた明日。」そう言って廃倉庫を出て行った。 その頃―― 海沿いの倉庫街の端。 利衣子は、倒れ込むように地面に手をついた。「はぁ、はぁ……も、もう走れない……」 それでも立ち上がろうとした瞬間――「見つけたぞ」 暗闇から現れた黒澤の部下が、ニヤリと笑った。「もう逃げらんねぇよ、利衣子さんよぉ」「いやっ……やめ……っ!」 男が手を伸ばす――その手が利衣子の腕に届く、その直前。 ――パンッ! 銃声が闇を裂いた。「うぐっ……!」 男が倒れ込み
――深夜。 関西の外れにある港湾倉庫街。 海風に混ざって、鉄と油の匂いが鼻をつく。 灯りの落ちた廃倉庫の奥で、利衣子は震えていた。 照明代わりの白い蛍光灯が、時折“チッ”と不穏な音を立てる。 その前には――龍一がいた。だが、その表情は氷のように落ち着き切っている。 黒澤の部下が、先ほどまでドアを破ろうと大きな音を立てていた。車で倉庫のドアを突き破ろうとしたのか、少し曲がって港の灯が漏れている。 「……で? 俺に話すという“面白いネタ”とは何だ?」 利衣子は唇を噛んだまま、視線を逸らした。 その怯えは、龍一が怖いのではない。 ――喋れば自分の命がないと分かっているからだ。しかし、龍一の氷のような瞳と目が合った。(こっちの方が怖い)利衣子は意を決して話し出した。「……黒澤と鷲尾が、天城壮真を出し抜こうとしてるの。“天城に黙って儲ける”ための計画……」「具体的に言え」 龍一の低い声に、利衣子は大きく息を吸い込む。「……新港(しんこう)ルートよ。本来は天城の直轄。運び屋も倉庫も、天城の監査を通さないと動かせないはずなのに……」 利衣子は震える指でバッグから数枚の書類を取り出した。 黒いホチキスで綴じられた“裏帳簿”だ。「黒澤は鷲尾と組んで、新港の夜間荷揚げを“別口”でやってた。天城に流すはずだった利権の金を横流しして、裏金として貯め込んでたの……。額は――二十億以上」 龍一の瞳が鋭く細まる。「“新港ルートの裏金”か……。天城にバレたら即死だな」「分かってる! 本当は関わるつもりなんてなかった……けど、私……蓮を誘惑するよう、黒澤に命じられたのよ」「理由は?」「“クリスタルローズの成瀬 玲”から蓮を引き離すため。――黒澤はね、成瀬 玲を攫えって、鷲尾に命じたの。“黎明の命綱を握れば、天城の上に立てる”って……」 闇の奥で、龍一の表情がわずかに変わる。「成瀬 玲が、黎明の命綱……?」「……そう。蓮を玲から引き離せば、玲に隙ができる。鷲尾は“成瀬 玲”を連れ出す役、私は蓮を縛る役よ」 そこまで言うと、利衣子は肩を震わせ、膝に顔を埋めた。「私……ただ従うしかなかった……逆らえば処分される……だから……!」 しばらく倉庫に重い沈黙が響いた。 龍一は、利衣子の涙を同情するでもなく、冷えた目で見下ろす